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夢blog

当塾代表 渡辺夢寛による「夢blog」 開設しました

2022年度大学入試を振り返って~その1 台町本校 推薦・総合型入試、医学部入試編~

2024-05-23

2022年度大学入試を振り返って~その1台町本校 推薦・総合型入試、医学部入試編~


新年度も落ち着いた青葉の季節、少し遅くなったが、期待以上の大成功を収めた今春の大学入試について振り返りたい。まず台町本校にて先陣を切ったのが、中部地方の医療系難関私立大にポートフォリオ入試で受験した女子塾生である。彼女は高校の評定も申し分なく、最も早い時期の入試なので、その当時も運動部にて活躍中で面接練習も完璧に仕上げた。ただ合否を大きく左右する志願理由書がよく言えば模範的であり、昨年度8倍近い同大に合格するには、1ピース欠けていた。決定的なのは、「なぜ北関東から中部地方の大学なのか」が明確ではなかった。その疑問を彼女に聞いてみると、「遠く離れ寂しく暮らしている祖母の元から通学し、大好きな祖母を私が支えたい」と答えがあり、それを志望理由書にそのまま追加させたことで、「心の宿った」志望理由書に生まれ変わった。「合格第一号!」と拍手と共に祝った合格報告への我々講師陣からの拍手の中、「しかも特待生合格でした…」と驚くべき言葉も添えてくれた。

 

 続くは筑波大学推薦入試で、その中でも特に独学が困難故志望する受験生も出願を躊躇することが多い筑波大学情報学群である。昨春は私が声をかけた二人の女子塾生が合格し、今春も声をかけた女子塾生が、柔軟に受け入れてくれ、予め用意した本の内容をプレゼンし、グループ分けされた受験者全員から投票されるビブリオバトル入試に挑んだ。昨春以上に徹底した指導を受験直前期の深夜に及ぶまで徹底した結果、見事合格報告に来てくれた彼女は「私塾でなければ筑波大を受けることも、この入試方式も知りませんでした!」と話してくれた。更に「それと、発表したグループで全員が私に投票してくれました…。」とまたも驚くべき言葉も添えてくれた。

 

 続いては指定校推薦組である。指定校推薦とは、公募推薦と違い、各学校に割り振られた推薦制度である。ただし難関大であればあるほどクリアする評定平均は高く特に早稲田大では校内トップクラスの評定が必要である。今春、早大理工学部に合格した彼は、真高サッカー部で活躍し、且つ成績も抜群で、高1時から早大指定校を狙うように話していた塾生である。その彼が「推薦を辞退しようと思います。担任にも話しました。」という報告を受けたのが、締め切り直前の秋の終わりである。私は即座に、早大一般受験がどれだけ高い壁であるか「文武両道」と一言で表されるが、それがどれだけ至難の業であるか、それを成し遂げた君が如何に早大理工に相応しいかということを長時間かけて面談し、柔軟な考えを持つ彼も、それを受け入れてくれ見事合格した。一人の少年の人生を変えられることはなんて幸せであろうと実感した日でもあった。驚くべきことに(残念なことでもあるが)、今春これだけの大成功を収めた合格実績の中でも、なぜか早大一般入試理系だけは、真高全体、当塾台町本校からは全滅であった。

 

 上記のような推薦、総合型入試での成功も束の間、数ⅠA38点、数ⅡB43点という過去最低の全国平均点であった、怒涛の「共通テストショック」により一般入試組の受験生も幕を開けた。数学での低得点にて国公立大を断念する全国の受験生が相次ぐ中、台町本校塾生達は耐えに耐え、特に県内一、二を争うであろう校内でも群を抜く総合最高得点を叩き出した真高生が、共通テストと面接のみの東北大工学部AOⅢ期に素早く出願し、周到な面接練習の元、一早く合格。医学部受験生達も英語、国語の最高得点により前述の彼に次ぐ共通テストが好成績をあげた。医学部合格者についての記事は、真岡新聞3月11日号に「真高から医学部3名合格」に写真と併せ記事に記したが(当塾HPにて閲覧可)、後日談として防衛医科大医学部正規合格が如何に偉業であったか、その記事の中で私が詳しく記した「都会との教育地域格差」が如何に加速しているかが、先日データとして明確に公表された。同記事の中で詳しく記したように県別に合格者が数名と定められている学費無料の自治医科大と違い、同じく学費無料の防衛医大は全国から成績上位順に合格者が決まっていく。その結果、久保君を含め栃木県からは3名合格の好成績を挙げたが、合格者1名の県も多く、更には恨事なことに、山形、秋田、山梨、石川、福井、高知、佐賀、宮崎、各県に至っては合格者は皆無であり、それに対して東京都からは93名の合格者を輩出、埼玉、神奈川、千葉、大阪も東京に準ずる合格者を輩出しており、人口比を換算しても如何に地方(特に中学受験が盛んでない県)が大学受験で圧倒的不利であるかの証左であった。生まれた地域で医師になれる可能性がこれだけの格差,隔たりが生じている、「地方と都会の教育不平等」が年々急速に進んでいる。その点でも久保君の現役合格は非常に価値があるが、更に後日談は続く。実は彼は合格した最難関の防衛医科大の他に、筑波大医学群が第一志望であり、かなりの確率で合格可能性があると出願させた推薦入試で彼も手応えを感じた試験であったが,僅かに届かず、不合格であった。更に不運が続くもので、親友であり良きライバルである同じ塾生の河又君も合格した自治医科大入試でも100名→21名→14名と勝ち抜いたが、最終合格の5名に僅かに届かない不合格者(入学許可のない補欠合格)となった。心優しい少年であるが、中学時から校内トップを連発していた久保君を指導していると、なぜか、秋口の筑波大推薦入試ですんなり合格してしまうと、その純粋さ、素直さ故、将来、患者さんの苦痛、苦患、悲哀を背負えきれない瞬間がくるのではないかと危惧していた。その杞憂は筑波大推薦入試、自治医科大最終入試の不合格により現実となった。ただ不義理とは無縁の彼は、筑波大推薦入試の不合格の報、更には上記の自治医科大最終不合格の報を全く同じように、目を真っ赤に腫らしながら、「期待に応えられず、すみませんでした。次の試験に向けて頑張ります」消え入るような声で報告してくれた。私も彼と同じように唇を噛みしめていたが、何度も二人で練って出願した国立大前期後期一般入試での勝利を確信していたので、「力を出せば必ず合格できる!」と鼓舞し続けていた。その後、浪人生も一斉に加わった一般入試で見事、合格を勝ち取った彼と交わした握手は単なる合格報告ではない、お互い言葉にはしないが数々の想いの詰まった握手であった。彼は人も羨む、筑波大医学群医学類現役合格の超エリートであるが、彼は受験によって本当に苦しみ、地獄を見た。どんな患者さんの苦しみ、悲しみをも汲むことができる高尚なドクターとなるであろう。

 

 その後、現東北大医学科3年生の塩澤君が合格のメソッドを2年前に当時高1の久保君、河又君(自治医大医学部に進学)、小倉君(獨協医科大医学部に進学)達に話し、今春開花させてくれたように、今度は彼らが、現高1,2,3生に向けて熱心に話し、当塾の伝統をがっちりと紡いでくれた。その勉強法や受験への心構えを、まるで新たに芽吹いている新芽がたっぷりの水をもらったかのように必死でメモを取りながら聞き入っていた新受験生達は、必ずや来春たくさんの大輪の花を咲かせてくれるであろう。~その2「一般入試編」へ続く~

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