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夢blog

当塾代表 渡辺夢寛による「夢blog」 開設しました

2023年度大学入試を振り返って~その2 一般入試編(前半)~

2024-05-23

2023年度大学入試を振り返って~その2一般入試編(前半)~

 

 さて、前回著述の大成功を収めた推薦入試の勢いそのままに一般入試が幕を開けた。繰り返しで恐縮だが最優秀であった昨春の代は、真高内でも塾内でも、理系は、筑波大(医)、自治医大(医)、慶応大(理工)に進学した塾生、文系も大阪大(法)に進学した塾生や慶応大に合格した塾生たちにより猫の目のようにトップが目まぐるしく入れ替わる群雄割拠であった。ただ、相撲に例えるなら東西の横綱がどっしり構える体制、野球に例えるなら絶対的なエースと4番が構える体制が理想といえよう。その点で今春は真高に首席で合格した塾生が理系トップを、次席で合格した塾生が文系トップを校内3年間独走している理想的な体制であったが、結論から話すと、文系トップの彼は、東大文系最難関の文Ⅰ(主に法学部)に100点満点に換算すれば僅か数点差での不合格であった。模試返却の度にメモ帳とペンを携え私の元を訪れ、私のアドバイスを一言も漏らすことなく全てメモした彼は、共通テストも真高内で突出してトップであり県内でも屈指の好成績であった。東大模試でも総合では合格圏であったが、数学に関してだけは唯一常に合格点を下回っていた。そこで数学は当塾にて個人的に特別講座を行い、なんと彼は東大入試本番がこれまでの模試の中でも最高の出来であり、合格基準点を大きく上回る得点を叩き出した。ただ高校受験や大学受験を経験した方なら共感していただけると思うが、国語はある程度当日のコンディションで波が生まれてしまう。彼は当日にその「下振れ」に当たってしまい、本来の点数を挙げられなかった。出願を東大文Ⅱ(主に経済部)や文Ⅲ(主に文学部や教育学部)にしていたら、国語の一文の読み間違えが無かったら、と回想してもきりがないが、当塾伝統の教え、「受かったところが行くところ」は真に近いのかもしれない。彼は国家公務員総合職、所謂「官僚」志望であったが、前述の私の言葉を全てメモする姿勢に象徴される「人の意見に耳を傾けられる力」、それを踏まえて「塾に残す言葉」(当塾HP上で直筆閲覧可)に残してくれた冒頭で「私の高校生活は、渡辺私塾とともにありました」から始まる長文に象徴される「論理的に話す力」、さらには物腰し穏やかで心優しい性格は、法学部ならば官僚ではなく人権派の弁護士に向いていると感じ、面談の雑談の中でもその旨を伝えていた。受験後、彼らしい、はにかんだ笑顔で否定はしていたが、塾や学校への実績の寄与の為であろう、進学はしない北海道大学法学部後期試験最上位合格の報、東大文Ⅰの僅差で及ばなかった得点開示の報、更には、司法試験合格者は東大に匹敵する早稲田大学法学部に進学後、法曹系サークルに所属した報を置き土産にキャンパスライフに還幸していった。


さて次に今春のテーマ「柔軟さと逆転合格」を最も象徴する彼に登場してもらおう。彼は、今春、当塾台町本校50年の歴史の中でも稀代の合格率をたたき出した東北大・北大8名受験7名合格の「不合格であった“残りの1名”」でもある。彼とは思い起こせば小学生時に初めて出会い、明朗快活な印象であったが、中等部での指導を経て、最初の人生の分岐点は、高1の6月から秋口に、塾生全員と、文系か理系、受験選択科目、志望大学、学部を決定する非常に大切な面談時であった。後述するが中3時、作文演習の添削で常に満点を与えていた文才とは逆に、数学の試験が時間内に解き終わらない解答用紙を見続けていた私は、高1時、周囲全て、さらに言えば本人自身も希望していた「理系選択」を全否定した。私のあまりの否定ぶりに本人も「親を呼んで話して頂いてもいいですか?」との申し出もあり、長時間に及ぶ三者面談も行った。音楽や絵画が得意のやはり文系特有の「右脳」に秀でた彼は「絶対に文系を選択しなさい」の一声で、進路を180度方向転換したが、その後は「水を得た魚」のように成績をグングン伸ばしていった。ただ数学だけはやはり苦戦し東北大模試でも総合A判定ながらも数学が足を引っ張っていた。「本が好き」という理由で文学部を志望していたが、毎日のように話す他愛もない雑談の中で、理路整然と話す彼から、文学はもちろん、法曹や経営学へのセンスも垣間見られ、学部は文学部に捉われず「柔軟に」受験してもいいのではないかと私は思っていた。そこで前期東北大文学部、私立大は滑り止めで中央大文学部、「大学受験では全勝は失敗(本人の上限が見えないため一生後悔する可能性がある)」という私の教えの元、チャレンジ校で慶応大商学部、更には共通テスト高得点故、A判定であった法曹の名門、中央大法学部共通テスト利用入試に出願した。万全の出願のようだが、国公立大後期が滑り止めの地方国公立大文学部への出願であり、前期東北大が不合格であれば共テ利用入試で合格の固い中央大法学部への進学を決めていた(後述だが中央大法学部近くの都内アパートまでも契約済みだった)受験では、やはり国公立大後期を無駄にしてしまう。ただし国公立大後期の難易度は前期入試より遥に高く、試験科目が小論文や面接など、受験生が躊躇してしまう入試方式がほとんどである。そこで私は中央大法学部より優先しても良い国公立大後期を全て洗い出し、その中で共通テスト900点、二次試験小論文800点の筑波大人文学部後期入試受験を彼に提案した。昨春、当塾石橋駅前校生で前期筑波大人文学群不合格後、後期にて同学群合格の先輩の例を上げ、彼自分自身でさえ気づいていない稀有な右脳の能力を刻々と話し、周囲からは「無謀」ともいえる後期筑波大に出願した。彼は東北大前期入試では、英語は会心の出来で、何よりも心配な数学も合格基準点を超えたが、前述の東大文Ⅰを受験した文系トップの彼同様に「国語」がいわゆる「下振れ」をし、模試でも取ったことのないような低点数であった。それでも後日の東北大の点数開示に来て、100点満点換算で合格点の僅か1点差未満での不合格であった彼は、後期筑波大入試に臨み、本人曰く「完璧の出来」という小論文にて見事に合格した。思慮深い彼は筑波大後期最上位合格の報とともに「8名受験中7名合格、唯一の東北大に落ちてすみません…」と謙遜な言葉で語ったが「前期東北大より後期筑波大のが遥かに難関だよ!」と話すと満面の笑みを見せ、共に笑いあった。

 

 続いては、文系女子塾生である。特に上位の女子生徒達は上記男子塾生達と比肩する程優秀で、その中でも真女文系トップを独走した塾生について話しておこう。彼女は東大受験を視野に入れ、高校で履修する日本史と共に、独学で世界史を進めていたが、国立大に確実に合格したいとの思慮深い選択を尊重し、東北大教育学部に合格し進学した。ただ一般的に将来学校の先生となる千葉大や宇大等の「教員養成学部」とは異なる、「教育を学問として学ぶ」正に「教育学」に固執した学部選択であり、私も私立大受験でさえ倍率の高い教育学科だけでなく、他学部も進めたが、頑として彼女は聞かなかった。東北大を初め、立教大等の教育学科に合格した彼女に「おめでとう!でもなんで教育学科ばかり受けたの?」と尋ねると「私塾の高等部の最初の授業で先生から、それまで私が生きてきて全く知らなかった都会と地方の教育格差、それと戦うのが渡辺私塾の使命!というお話を聞いて、それを大学で研究したい、と思ったのが教育学部を志したきかっけです」と話してくれた。私の拙い談話が、志高い少女の人生を懸ける一助となった嬉しさとともに、それに気づかず受験時、他の学部を勧めてしまった自分の配慮の無さに思わず首(こうべ)を垂れた。

 

 続くは、それぞれ計300名近くの、新高1、高2、高3塾生を前に「学校と塾の勉強を完璧にすれば地方からでも絶対に難関大に合格できます!」と威風堂々と鼓舞してくれた東北大法学部に進学した真女生である。彼女は国立大受験校は東北大法学部と決めていたが、地方公立高校特有の私立大は安全志向で、偏差値20も下の大学受験プランを持ってきた。即座に受験プランを一新後、実力相応の中央大法学部、明治大法学部を順当に合格し、「東北大入試は難関私大に進学できるという余裕があったので、思いっきりできました!」と見事輝かしい法曹界への第一歩を歩みだした。ちなみに真女高からは旧帝大2名受験2名合格の複数名合格は、県内女子高の中では宇女高に続いて2位である。

 

 さらに上記の彼女たちと受験直前期に英語では肉薄した真女生は、出願直前で猛烈な伸びを見せていたので、同じく受験プランを一新し、もう少し上の大学も出願してみなさいとのアドバイスの元、明治大政経学部を滑り止めにし、中央大法学部法律学科に進学した。

 

 さて今回ではスペースの関係上当塾台町本校文系上位陣のみの掲載であったが、次回は、「出来の悪い代」と揶揄され続けた理系塾生たちの逆襲、今春のテーマ「逆転合格への塾生たちの『奇跡への軌跡』を紹介させて頂ければと思う。

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